奥の細道むすびの地

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むすびの地「大垣」

芭蕉と大垣

大垣は、岐阜県の西部、西美濃の中心に位置しています。江戸時代の大垣は、東西交通の要所として、また、東西文化の接点として、経済・文化が発展した地でした。元禄2年(1689)の秋には、松尾芭蕉が「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」と詠んで、水門川の船町港から桑名へ舟で下り、約5か月間の『奥の細道』の旅を終えています。

芭蕉は『奥の細道』の旅を大垣でむすびましたが、はじめて大垣を訪れたのは、『野ざらし紀行』の旅の途中、貞享元年(1684)9月下旬のことです。目的は以前から親交があった船問屋の谷木因を訪ねるためでした。このとき、木因宅に1か月ほど滞在し、木因の仲立ちで大垣の俳人たちが新たな門人になりました。

芭蕉が門人に宛てた手紙によれば、『奥の細道』の旅のむすびの地は、旅立つ前から大垣と決めていたことが伺えます。芭蕉が大垣を旅のむすびの地とした背景には、早くから自分の俳風を受け入れた親しい友人や門人たちの存在があったのです。

船町港にある芭蕉と木因像

【船町港にある芭蕉と木因像】

奥の細道むすびの地

芭蕉は『奥の細道』の旅を終えた後、水門川の船町港から桑名へ舟で下りました。

現在の船町港跡は、住吉燈台と川舟が当時をしのばせ、すぐ西側に「奥の細道むすびの地記念館」が隣接しています。

また、松尾芭蕉が紀行文学『奥の細道』で表現した景観美を継承しつつ、往時の遺風を伝える場所として鑑賞上の価値が高いことから「おくのほそ道の風景地 大垣船町川湊」として、文化財保護法に基づき、平成26年に国の名勝に指定されています。

明治期の船町港

明治期の船町港

住吉燈台と川舟

住吉燈台と川舟

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